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目  次
1. はじめに&12月12日(出発)
2. 12月13日(シンポジウム)
3. 12月14日(公開座談会)
4. 12月15日(台北市内見学)&12月16日(帰国)
5. 旧「春鳳楼茶館」・旧娼館地区(帰綏街)見学記
◇ 12月13日(土) −シンポジウム−
-* 写真をクリックするとさらに大きな画像を見ることができます *-

6時に起きて身支度。着物は胴抜き(上半身が単、下半身が袷)の緑の縞の小紋、帯は桧皮色。朝食の後、ロビーでファインバーグさんとミニーさんに初対面のご挨拶。

迎えの車で台湾国立中央大学へ。緑の多い広いキャンパスが印象的。9時30分に、性/別研究室主催のミニ国際学術シンポジウム「
第5回『性/別政治』跨性別世紀」(Fifth International Super-Slim Conference on Politics of Gender/Sexuality “The Age of Transgender”)
が開会。広い会場は、研究者と当事者でほぼ満員の入りで、関心の高さがうかがえます。
 
会場の入り口で

「会場の入り口で」

午前中は、レスリーさんの基調講演(“Sex and Gender Oppression: Finding the Path to Liberation")とホー先生の研究発表(“Trans-Sexuality: Bisexual Formations and the Limits of Categories")など。細かいところまではとても無理ですが、英文のレジュメと通訳さんとお陰で、なんとか最小限度の話は理解したつもり。

お昼は、大学の生協で一番人気のお弁当を用意してもらったのですが、これがなんと完全なお精進料理。健康志向なのか、それとも仏教の信仰の浸透具合が日本と異なるのか・・・? 興味深かったです。

昼休み、11日に列車に飛び込んで自殺してしまったMTFの蔡雅亭さん(「亭」は女偏)の追悼ポスターの前で弔意をささげました。実は、台湾でMTFの人の自殺があったらしいこと、行きの飛行機の中で前の座席の男性が広げていた台湾の新聞に「男扮女装 撞火車自殺」という見出しが見えたので気が付いていました。直接的には、IDカードの写真を女姿のものに貼りかえるのを役所で拒否されたことがきっかけだったようですが、その背景には困難な就労状況があったことがうかがえます。それにしても「跨性別世紀」のシンポジウムのわずか2日前に・・・。なんとも、悲しい現実でした。
 
追悼ポスター

「追悼ポスター」

左側の画像がその追悼ホスターですが、「開路的勇者 激励我們継続前進」の文字は、「道を開いた勇者よ、私たちの更なる前進を激励してください」という意味でしょう。四隅を彩る熱帯の蝶は、台湾のトランスジェンダーのシンボルです。

私の出番は15時からのシンポジウム「跨性別運動與主體 Transgender Movement and Transgender Subjects」。私の発表
「現代日本のトランスジェンダー世界(現代日本的跨性別状況)」の要旨は、事前に中国語訳されて会場に配布されていたので、それとは別に用意してきた20枚ほどのスライドを使いながらの報告になりました。

まず、日本の中央大学の社会科学研究所の『年報』(7号 2003年6月)にまとめた論文(「現代日本のトランスジェンダー世界−東京新宿の女装コミュニティを中心に−」)をベースにしながら、日本のトランスジェンダーを4つのカテゴリーに分けて、それぞれのカテゴリーに関連する写真を見てもらいながら説明しました。1つはニューハーフと呼ばれる職業的なグループ。2つ目は新宿などの女装バーを中心にした開かれたコミュニティ。3つ目は閉鎖的な女装クラブを中心にしたサークル。4つ目が性同一性障害という精神疾患カテゴリーをアイデンティティにするグループです。

次に日本社会の中でのトランスジェンダーの実際を紹介しました。ニューハーフショーの写真、新宿の女装スナックの様子、専門雑誌の『ニューハーフ倶楽部』や『くいーん』などの表紙も見てもらいました。私が主宰する「クラブ・フェイクレディ」の旅行の集合写真を見せて「これは一般の観光地で写したもので、10数人全部がMTFです」と説明したら、会場がどよめきました。

追加コメントでは、「GID特例法」など最近の話題を付け加えてお話しました。とくに強調したのは、日本社会はもともとは性別に関して柔軟性というか寛容性をもっていたのに、それが近代化の過程で硬直化してしまったということです。
言葉の壁があるにもかかわらず、スライドを使ったので分かりやすかったせいか、幸いとても好評でした。
 
会場でファインバーグさんと 閉会後、ホー先生と カール教授と

「会場でファインバーグさんと」

「閉会後、ホー先生と」

「カール教授と」

 
閉会後、性/別研究室を訪問しました。研究室より図書室といった趣でジェンダー/セクシュアリティへ関係の書物がたくさん並んでいましたが、ほとんどが英語と中国語で、日本語のものが少なかったのが残念でした。
 
性/別研究室の前で 記念撮影。

性/別研究室の前で

記念撮影

  
18時過ぎ、車で台北市に移動。新生南路三段の「福華国際文教会館」(国際的な教員組織関係のホテルらしい)にチェックインした後、歩いて和平東路一段の北平(北京)料理店「北平稲香村」へ。ちなみに、南京を首都にしていた中華民国(台湾)では、北京は首都ではなかったので「京」の字を使わず、「北平」と言います。

「北平稲香村」の入口で

「北平稲香村」の入口で」

この日は、12月の台湾にしてはかなり寒かったので、中華しゃぶしゃぶをメインにしたお料理は、身体が暖まりおいしかったのです。ただ、同じ料理を北京で何度か食べたことがある私としては、南国の夜に食べる北方の料理には、どこかわびしさを感じてしまい、複雑な思いがありました。

遅めの夕食が終わったのは21時近く。でも、まだスケジュールは終わらず、羅斯福路にある台湾唯一のゲイショップ「晶晶芸廊」へ。その2階のギャラリーを借りて開かれている、台湾のゲイ/レズビアンのグループ「巧愛クラブ」の集会に出席しました。レスリーさんのお話がメインなので、私は挨拶だけで失礼して1階のゲイショップを視察。店長さんに「日本のショップと比べてどうか?」と尋ねられたのですが、なにしろ、日本のゲイショップにほとんど入ったことがないので、的確な返事はできません。レズビアン(FTM)向けのグッズ(バストを抑えるいわゆる「なべシャツ」など)が多いように思いました。商品はアメリカからの輸入品が多いようで、日本からのものは少なかったです。 
 
この羅斯福路の路地には、ゲイショップの並びにゲイ系の書店、その向かいにゲイ系の茶房(喫茶店)といった具合に、小さなゲイタウンを形成しています(3軒とも同じ経営者)。ただ、土曜日の夜にもかかわらず、とてもひっそりしていて、新宿2丁目とはまったく異なる雰囲気でした。茶房は見学させてもらいましたが、書店はすでに閉店していて残念でした。
 
レインボーカラーに彩られた「晶晶芸廊」の前で インパクト満点の「晶晶芸廊」の巨大看板 店内で。後方の黒いのは「ナベシャツ」の類。

晶晶芸廊」の前で

晶晶芸廊の巨大看板

店内で

 
さすがに眠くなり、陳さんと二人で夜道を散歩しながら一足先にホテルに戻りました。夜の11時近くに「女」二人で歩けるということで、台北市の治安状態の見当がつきます。
ホテルに戻って、着物の世話をしてベッドに入ったのは、1時近く。初めての海外での「女」の一日、さすがに疲れました。