創りあげたイメージを印画紙の上に固定するため、あるいは、流れゆく時間、移ろいゆく姿を永遠に留めるため、そして、1枚の写真から過ぎ去ってしまったなつかしい時を振り返り、思い出にひたるため。
 
ともかく、写真好きの私は、本格的に女装修行を始めた1990年以来、自分の姿を写真に撮り続けてきました。正確に数えたわけではありませんが、たぶんフィルムのコマ数にして7000とか8000とかになるのではないでしょうか。プロのモデルさんには及びませんが、一般の方に比べれば、たぶん桁違いの数で、それだけ写真への思い入れも深いものがあります。
 
ただ、自分の写真、とりわけナルシシズムの入った若い頃の写真を公開することは、かなり照れくさいものがあります。このサイトをオープンした時から「思い出写真館」というコーナーを設けながら、なかなか中身が入らなかったのは、そんな思いからでした。
 
今回、「競技女装」(女装者のミスコン)に熱中していた1990年代前半の写真を含めて公開する気になったのは、あれから10年の歳月がたち、あと一歩のところでオールジャパン(全日本女装写真コンテスト)のグランプリを取り逃がした悔しさも薄れ、「もうこんな写真を撮ることは二度とないだろうな」と思った時、過ぎ去った時代への懐かしさを覚えはじめたからでした。
 
それだけ私が歳をとったからなのでしょうが、ようやくその時代が私にとって「思い出」になってきたということでしょう。
 
ということで、膨大なプリントの中から厳選した写真を、いくつかのテーマに分けて、少しずつ公開していこうと思います。単純に眺めて楽しんでいただいても結構ですし、解説を読んでいただきながら、1人の女装者が「なりたい女」を目指して成長していった10年間の軌跡を読み取っていただけたら、なおさらうれしく思います。
 
 
 

(トップ頁写真)

『週刊SPA!』(扶桑社)1997年5月28日号に掲載された写真で、キャッチコピーは「昼は大学講師、夜は女装家」でした。新宿の靖国通りの路上で歌舞伎町の夜景を背景にプロのカメラマンに撮影してもらいました。小雨に濡れた歩道にネオンが映ってちょっと幻想的な美しい写真になりました。
 
新宿歌舞伎町の「ジュネ」で毎週金曜日お手伝いホステスをしていた頃で、なりたかった女性(ネオン映えのする女)のイメージをほぼ達成できた思い出深い写真です。